浄土宗のお焼香の作法、回数や意味は?葬儀・しきたりについても解説

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

浄土宗は浄土真宗本願寺派に次いで、信徒数600万人を超える規模を持つ仏教の宗派です。

それだけの数の方が浄土宗の寺院を菩提寺に持っているということになりますね。

しかし、浄土宗についてよく知らない方も多いのではないでしょうか。

 

この記事では浄土宗のお焼香やお線香のマナーを解説、それに加えて浄土宗の葬儀やお供えなどの作法についてもお伝えします。

また、浄土宗の教えや歴史もざっくりとご紹介していきます。

葬儀の際のお焼香や法事、日々のお参りなどにご活用いただければ幸いです。

 

— この記事の目次 —

1.浄土宗とはどんな宗派?

2.浄土宗の葬儀の流れは?

3.基本的なお焼香のマナーは?

4.浄土宗のお焼香やお線香のマナーは?

5.浄土宗の数珠の持ち方は?

6.浄土宗の仏壇の飾り方やお供えの仕方は?

7.浄土宗と浄土真宗ってどう違う?

8.まとめ

1.浄土宗とはどんな宗派?

出典元:https://www.ac-illust.com/

 

仏教は葬式仏教などと呼ばれ、弔事のときでなければ接する機会があまりない方が多いのではないでしょうか。

仏教と一口にいっても大乗仏教と上部座仏教に分けられ、日本の仏教(大乗仏教)にはさらにいくつもの宗派があります。

浄土宗はその大乗仏教のうちの一つですが、どのような宗派なのでしょうか。

ここでは、浄土宗の教えや本山・流派、歴史などについてお伝えいたします。

 

1.1 浄土宗ってどんな教え?

浄土宗の教えは7世紀前半に日本に伝わった「浄土教(阿弥陀仏の力によって極楽浄土に生まれるという教え)」が元になっています。

浄土教によると、仏教の教えは2つの流れに分けられます。

修行によって自力で悟りを得る、聖道門(しょうどうもん)と、阿弥陀仏の慈悲により極楽浄土に行くことができる浄土門です。

 

浄土宗の教えとは浄土門であり、南無阿弥陀仏と唱えることによって、阿弥陀仏の極楽浄土に行くことができる、というものです。

仏教での生き物の生まれ方の分類は、胎生(母親の胎内から生まれる)、卵生(卵から孵化する)、湿生(虫など湿気から生まれる)、化生(けしょう・業によって忽然と生まれる、天人や地獄の生き物など)の4つとなっています。

浄土宗は南無阿弥陀仏と唱えることで、極楽浄土に化生する(=念仏往生)のを目的とする宗派と言えます。

※業とは行為のこと、良くも悪くも結果を伴う行為のことを指します。

 

念仏往生するために重要視されるのは、安心、起行、作業の3つです。

 

安心(あんじん)

浄土宗における安心とは、心を安らかに、不安や恐怖などから解き放たれることで、そのためには三心(さんじん)が必要となります。

三心とは至誠心(しじょうしん・極楽往生を真に願う心)、深心(じんしん・念仏することで往生できると深く信じる心)、廻向発願心(えこうほつがんしん・功徳を自他に回し向けて共に往生することを願う心)です。

ちなみに日常で使う「安心」という言葉は、もともとはここから来ている言葉なのです。

 

起行(きぎょう)

起行は五種正行(往生のために行う行)から成り立ちます。

五種正行とは読誦(どくじゅ)、観察(かんざつ)、礼拝(らいはい)、称名(しょうみょう)、讃嘆供養(さんだんくよう)のことです。

読誦とは声に出してお経を読むこと、観察とは阿弥陀仏や菩薩、浄土を心で観察すること、礼拝とは阿弥陀仏を拝むこと、称名とは「南無阿弥陀仏」と唱えること(阿弥陀仏の名を称える)、讃嘆供養とは仏様をほめたたえる供養で、お香や花、お供物、燈明などを供えることを指します。

この中で一番重要なのは、「南無阿弥陀仏」と唱える称名とされています。

 

作業(さごう)

「作業」も仏教が由来の言葉です。

作業は恭敬修(くぎょうしゅう・阿弥陀仏や聖人、縁のある方などを敬うことを修める)、無余修(むよしゅう・集中して修める)、無間修(むげんしゅう・継続して修める)、長時修(じょうじしゅ・寿命が尽きるまで修める)の四修となります。

 

浄土宗の経典は「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」(浄土三部経)です。

これら浄土三部経は、世親(せしん・または天親とも訳される)の「無量寿経優婆提舎願生偈(むりょうじゅきょううばだいしゃがんしょうげ・無量寿経の注釈書、別名『往生論』)」、善導の「観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ・観無量寿経の注釈本)」、法然(源空)の「選択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう・浄土三部経をまとめて法然の解釈を述べたもの)」によって解説されています。

 

1.2 浄土宗の本山や流派は?

浄土宗は、知恩院派、捨世派(しゃせいは)、西山浄土宗(せいざんじょうどしゅう)、浄土宗西山禅林寺派、浄土宗西山深草派(せいざんふかくさは)、西山宗の6派に分かれます。

正式名称が「浄土宗」である知恩院派は、寺院数が7,000近くあり(2016年時点)、浄土宗の中では最も大きな流派です。

知恩院派の総本山は知恩院(京都)で、他に大本山が京都(知恩寺・清浄華院・金戒光明寺)、東京(増上寺)、神奈川(光明寺)、長野(善光寺大本願)、福岡(善導寺)の計7ヶ所、本山が滋賀(蓮華寺)に1ヶ所あります。

 

捨世派の本山は一心院(京都)、西山浄土宗は光明寺(京都)、浄土宗西山禅林寺派は禅林寺(京都)、浄土宗西山深草派は総本山が誓願寺(京都)・本山が円福寺(愛知)、西山宗は三鈷寺(さんこじ・京都)となっています。

寺院数は捨世派が6、西山浄土宗が594、浄土宗西山禅林寺派が361、浄土宗西山深草派が278、西山宗が3です(2016年時点)。

 

1.3 浄土宗の歴史は?

浄土宗は、法然(法然房源空)が開いた仏教の宗派です。

法然は1133年(平安時代)、岡山県に生まれました。

その当時は源平合戦で国土が荒れ、釈迦の死後2,000年には世が乱れるという末法思想が蔓延していました。

 

法然の父は土地に関するもめ事で闇討ちに会い、法然が9歳のときに亡くなってしまいますが、それをきっかけに親戚の僧侶に引き取られました。

そこで才を見出され、比叡山延暦寺に入山、15歳で出家します。

ここで師匠の源光と叡空の名をもとに、源空という諱(いみな・名前のこと)を授かりました。

 

法然は学問に励み、自分に合った納得のいく信仰・教義を捜し模索し続けました。

そして、恵心僧都源信 (えしんそうずげんしん・平安時代の天台宗僧侶)の『往生要集』、善導(中国・唐の僧侶)の「観無量寿経疏」に出会い、これだという確信を持ちます。

浄土宗は、このときをもって開宗したとされています。

 

法然は1175年、43歳のときに比叡山を降り、東山吉水(京都・東山の安養寺)に居を構えました。

そこには、浄土宗西山三派の祖の証空や、のちに浄土真宗を開く親鸞など多くの僧侶が集まりました。

法然は各宗のオーソリティと議論したり(大原談義)、前年に焼き討ちされ再建中の東大寺で浄土三部経の講義をするなど、意欲的に活動します。

 

浄土宗の教えは瞬く間に広まりましたが、念仏のみで良いとするその教義は、戒律を重視する旧来の宗派から弾圧を受けました。

そんな折、朝廷の女房(女官)が後鳥羽上皇が留守の御所に浄土宗の僧を招き入れて説法を聞き、遅くなったため御所に泊めるという事件が起きました。

男性を留守中に御所内に泊めたことや、その後その女房が出家したことに後鳥羽上皇は激怒し、浄土宗の布教の禁止と解散を命じます(承元の法難、1207年、法然75歳)。

 

また、処罰として法然の門弟4人は死罪、法然と、親鸞などの門弟7人が流罪とされました。

法然は香川県に流されましたが、10ヶ月で赦免され、1212年1月に80歳で亡くなります。

法然の死後は信空が後を継ぎましたが、浄土宗の信徒が盗賊と誤解されたことから1227年、布教が禁止され、法然の「選択本願念仏集」は禁書になり、法然のお墓が延暦寺の僧兵によって壊されました(嘉禄の法難)。

 

信空が亡くなると浄土宗は証空の西山義、弁長の鎮西義、隆寛の長楽寺義、長西の九品寺義の4つに分派します。

法然の弟子の中でも大規模であった親鸞の流派は、浄土真宗として独立していきました。

その後も浄土宗は細かく分派を繰り返し、一部は衰退したりし、1977年に現在の形になりました。

<< 次ページへ続きます >>
1 2 3 4 5 6 7 8

人気の検索キーワードTOP10


いま話題の家族葬 人気の検索キーワード
[家族葬 DIY葬の費用]  [密葬と家族葬の違い]  [家族葬とは]  [家族葬 参列]  [密葬 家族葬 違い]  [小さなお葬式]  [家族葬 通夜]  [家族葬 お香典マナー]
葬儀のマナー<参列者> 人気の検索キーワード
[社葬に参列]  [葬儀屋さん一覧]  [葬儀 受付 マナー]  [神道 葬儀]  [葬儀 流れ]  [葬儀 数珠 選び方]  [通夜 告別式 違い]  [お悔やみ申し上げます 使い方]  [冠婚葬祭 マナー]  [直葬とは]  [葬儀 マナー]  [告別式 マナー]  [葬儀 流れ] 

お葬式?これだけ読めば大丈夫!

人気記事ランキング


  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket