神道の墓、知られていない5つの領域を解明したら凄すぎた!

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日本では約8割の家が仏教式の葬儀を行います。

その仏教が日本にやってきたといわれる6世紀以前はどうしていたのでしょう?

 

もちろん、葬祭を行っていました。

古代の墓と言われる古墳もすでに存在していました。

仏教のお葬式のことはなんとなくわかるけれども、神道の葬祭やお墓ってどうなっているのでしょうか。

 

あまり知られていない神道の葬祭に繋がるお墓の「意味」「歴史」「納骨」「カタチ」「おくり名」という5つの内容について、歴史から現代的デザインやお作法までまとめてみました。

 

— この記事の目次 —

1.神道の墓、古墳よりスゴイ古代から存在した圧巻の姿とは

2.神道の墓、三つの意味を知って開運する!?

3.神道の墓の現在、カタチに込められた深い意味とは

4.神道の墓石に刻まれる五種類の文字とは

5.神道の納骨式で知っておくべき三つのこと

6.神道の墓参り、現代ルールとマナー

7.まとめ

 

1.神道の墓、古墳よりスゴイ古代から存在した圧巻の姿とは

出典元:https://www.photo-ac.com/

 

日本に古来からある神々の道のことを「神道」と呼ぶようになったのはいつだったのでしょうか。

 

神道という言葉は『日本書紀』に見られ、6世紀に仏教が日本に伝来したときから使われるようになったということです。

外来の宗教と区別するために言葉が必要になったのですね。

 

皇室や貴族、一般の人々の間で暮らしの一部となっていた「神のみち」はすでに存在していました。

仏教伝来前の「古神道」と名付けられた世界では、神のみちや亡くなった方の弔いはどのように存在していたのでしょうか。

日本に遺されている古墳や遺跡から、日本古来の神道における葬送や墓に対する思想をひも解いてみたいとおもいます。

 

1-1古墳時代、天皇の墓は規格外のスケール

「古墳時代」という考古学上の時代区分が日本にはあります。

時の権力者による巨大なお墓である古墳がつくられ始めたのは3世紀中ごろのことでした。

 

最も巨大なものは5世紀に造られた大阪府堺市にある仁徳天皇陵とも伝わる大仙古墳で、486mという長さを誇っています。

古墳時代の約300年の間に造られたお墓には、銅鏡や玉類、剣や刀などの武器類や鉄製農具、宝器的・呪術的遺物、石製の模造品や鉄製模造品など祭祀的遺物などが副葬品として発見されています。

300年の間にも副葬品は変化していて、当時の文明の進化や、人々の葬送に対する考え方が現れています。

 

エジプトのピラミッドや中国の始皇帝の墳墓と並ぶほどの、世界でも稀なスケールの墓が畿内、九州を中心にたくさんつくられて、そして今もその姿を残しているということに驚きを隠せません。

いかに当時の権力者が強大な力を持っていたかということ。

そしてそのことから、強大な力を見せつける必要があった社会であったともいえることがわかります。

 

1-2古代、イサナミの命の墓といわれる花の窟神社

2004年にユネスコ世界文化遺産に選ばれた、紀伊山地の霊場と参詣道、いわゆる熊野古道の端に花の窟神社はあります。

花の窟神社の主祭神であるイサナミノミコトは、夫イサナキノミコトの留守中に亡くなってしまいました。

妻に会いに来たイサナキノミコトと最後の別れをした場所が、花の窟神社であり、当社はイサナミノミコトの墓であるとされています。

 

国道42号線沿い、間近に熊野灘を臨むその場所の参道を歩き、社務所をくぐります。

社務所をくぐったとたんに、目の前に現れる巨大な岩。

圧倒的な存在感に声を失います。

その静謐さ。荘厳さ。そしてなぜか温かい。

 

この窟ほど、参道の意味をよく実感できる神社は、日本全国8万社ある神社のなかでも群を抜いているでしょう。

この参道は「黄泉の国とこの世の境目」なのです。

大自然のなかに、何かと競うでもなくひそやかに、しかし圧倒的な存在感を発しつつ、日本を産み落とした女神の御陵は存在しています。

 

1-3縄文遺跡に見られる墓とは

三内丸山遺跡には墓が発見されています。

今から約5,500年前~4,000年前に存在していた人口500名ほどの集落の遺跡です。

 

大人の墓と子どもの墓ははっきりと分かれており、大人の墓は集落から少し離れたところに、子どもの墓は住居に隣接していました。

大人の墓は約200mの列状に並び、特徴的なものは環状に置かれた石による環状配石墓が並べられていることです。

中にはヒスイや赤色顔料が発見されています。

 

ここには、古墳時代に見られるような巨大墳墓は存在していません。

祭祀を行ったり、日付を知るために造られたとされるストーンサークルの縮尺版のような形状で村人が埋葬されていたのです。

子どもは埋葬用の、底のないツボに納められて住居の近くに葬られました。

幼くして亡くなった子どもの霊が、すぐにまた赤ちゃんとしてお腹に宿ってほしい、という願いがあったのかもしれません。

ツボに納められた子どもは子宮にいる赤ちゃんのようにも見えます。

縄文時代に使用されていた漆製品も発見され、かなり高度な文化と祭祀に対する深い思想を持っていたことがよくわかります。

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