曹洞宗葬儀の一般的な流れと基本知識まとめ

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普段の生活ではほとんどの方が意識していない宗派。
しかし、家の宗派について理解しておかなければ、遺族の方がお亡くなりになられた際どのように対応すれば良いかわからないですよね。
そこで今回は、禅の教えをよりどころに生きることを目指す坐禅をその教えの根本とした「曹洞宗」の葬儀の一般的な流れと基本知識をご紹介致します。「曹洞宗」の家系の方はいざという時のために、是非メモに残しておいて下さい。

1,曹洞宗の基本知識

引用元:http://www.ryukokuji.net

引用元:http://www.ryukokuji.net

日本にはいろいろな宗派があり各宗派によって葬儀を行う意味や内容が異なりますが、曹洞宗は比較的特徴のある宗派です。まず基本的な知識を押さえておきましょう。

1-1.曹洞宗(そうとうしゅう)とは

中国の禅宗五家(曹洞、臨済、潙仰、雲門、法眼)の1つで、日本においては禅宗(曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗・普化宗)の1つとなります。
専ら坐禅に徹する黙照禅(もくしょうぜん)であることを特徴としています。

※黙照禅とは禅宗における坐禅の流儀の一つを示す言葉です。

1-2.曹洞宗の歴史

曹洞宗の流れは、インドで生まれたお釈迦さまの教えを幾世代にも渡って祖師方が、悟りの生活を通して「師匠から弟子へ」と受け継いできました。それがインドから中国そしてこの日本に伝えられてきたと言われてします。

曹洞宗の源はお釈迦さまなので、本尊は釈迦牟尼仏です。

そして、お釈迦さまの教えを日本に伝え、永平寺を開いたのが道元禅師と言われています。
道元禅師を「高祖(こうそ)」とあがめています。

一方、總持寺を開き、教えを全国に広めたのが瑩山禅師と言われています。瑩山禅師を「太祖(たいそ)」と仰ぎ、この二人の祖師を「両祖」と呼びます。
この二人にお釈迦さまを加えこの三師を「一仏両祖」としてあがめているそうです。

拝む時は、「南無釈釈迦無尼仏(なむしゃかむにぶつ)」と唱えます。
現在では全国に約15,000の寺院と、1,200万人の檀信者がいるそうです。

2.曹洞宗の両祖について

2-1.道元禅師

引用元:http://www.sotozen-net.or.jp/soto/ryoso

引用元:http://www.sotozen-net.or.jp/soto/ryoso

鎌倉時代の1200年(正治2年)1月26日(陰暦では1月2日)に京都で生まれたとされています。
諸説ありますが、父は天皇家の流れをくむ名門貴族の内大臣久我通親(こがみちちか)。
母は摂政関白の公卿(くぎょう)である藤原元房の娘で伊子(いし)であると言われており、伊子は絶世の美女だったと言われています。

この伊子と道元が8歳の時に死別することになり道元は出家を決意したとされています。

14歳の時に比叡山の座主公円僧正について剃髪し出家します。
比叡山では天台教学を中心に学びますが、仏教の根本に関する疑問「もともと仏の性質が備わっているのなら、どうしてわざわざ修行をしなくてはならないか?」という大きな疑問があったそうです。

ところがその疑問は比叡山では解決しませんでした。
そのため、わずか2年で比叡山を下り、建仁寺の栄西禅師の高弟である明全和尚に師事したとされています。

そして6年の月日が経ち1223年、24歳のとき、求道の志をさらに強くした道元禅師は明全和尚とともに海をわたり、宋(中国)の地を踏みます。
そこでいろいろな方の元を訪れながら修行をしていきます。
そして何年もかけてついに天童山の如浄禅師に出会い自分の求めていた正師であると直感し如浄禅師のもとでの修行をします。

その中で道元は「只管打坐」(しかんたざ)、「ただ一心に座る」ということを学びます。
如浄禅師によりその悟りの境地を認められた道元禅師は、その後も修行を続け、安貞元年(1227)、道元禅師28歳の時、如浄禅師から嗣書(ししょ)並びにお袈裟を与えられたそうです。

そして帰国しますが、共に宋に渡った明全は修行の途中で亡くなっており、その遺骨を抱いての帰国だったとされています。
天福元年(1233)、道元禅師34歳の時、只管打坐の仏法を実践する道場として、山城国深草に興聖寺が建立されました。(山城国とは現在の京都の南半部の旧名)。

しかし比叡山からの圧迫があり寛元元年(1243)44歳の時、道元は波多野義重(はたのよししげ)の招きに応じて越前志比庄(しいのしょう)に移ることになりました。
(越前国とは現在の福井県北部の旧名)寛元2年(1244)波多野喜重の寄進による修行道場が完成。
はじめは大仏寺と名づけられましたが、のちに永平寺と改められました。
これが今日の大本山永平寺です。

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